上恩方郵便局の風景印(東京都八王子市)
- 使用期間
- 昭和55(1980)年9月18日~
- 図案説明
- 陣馬山頂の白馬と夕焼け小焼けの碑を描き陣馬高原より見る富士を配す
東京都八王子市・上恩方(かみおんがた)郵便局の風景印です。
陣馬山は東京都心から西へおよそ50km、神奈川県との都県境に位置しています。東京近辺に住んでいれば名前くらいは知っている山です。都会から近いだけに登山客も多く、登山コースなどもきちんと整備されています。
ただ、山の名前については裏話があるようです。
地図を眺めると、不思議なことに気付く。高原名は「陣馬高原」で、陣馬高原近くまで続く都道は、通称「陣馬街道」。しかし、都立公園の名称は「高尾陣場自然公園」だ。この山は「陣馬」なのか、「陣場」なのか。
「今は、知っている人も少ないだろうけど、もともとは『陣場』です」。六十年ほど前から山頂で「富士見茶屋」を経営する大木好冨さん(88)が教えてくれた。
大木さんの話や周辺自治体の史料によると、北条氏と武田氏が対陣したため、「陣張」が「陣場」になったなど複数の説があり、由来ははっきりしない。しかし、いずれも元の呼び名は「陣場」が正しいようだ。
「陣馬」が見られるようになったのは、戦後に入ってから。一九五〇年代に、観光地として開発しようとした京王帝都電鉄(現・京王電鉄)などが、「場」より「馬」の方がイメージがいい、と名前を変えたという。
『【東京通】<地名編>陣馬高原(八王子市)~観光のため「場」から「馬」へ』
2008年6月16日、東京新聞
元々の地名は「陣場」だったのですね。しかし山の名前なんてそう簡単に変えられるものなんでしょうか。
観光地としての話題作りで建立した山頂の白馬像が有名になったこともあり、いつしか「陣馬」が定着したということのようです。図案の説明を見るまでは、白馬ではなく恐竜か何かに見えていたので、化石でも発掘されたところなのかな、と思っていました。
私はぜひこの白馬像を見たいと思い、慣れない山登りをすることにしました。といっても、標高690mの和田峠までは車で行けます。対向車とのすれ違いが困難なつづら折りをしばらく走らなければならないので、大きい車では難儀するかもしれません。途中の陣馬高原下バス停までは大型バスが入ってきます。すれ違えないので、誘導員が同乗し、無線で連絡を取りながら運行していました。
和田峠には茶屋と駐車場があり、ここから徒歩で山頂を目指します。ルートは、急傾斜の階段を行く「直登コース」と、階段ではない「平坦コース」の二通りあります。私は迷わず平坦コースを選択しましたが、平坦というのは「階段ではない」という意味であったとすぐにわかります。そりゃあそうだ、頂を目指すのに平坦なんてことはあるわけがない、平坦な人生なんて面白くもない、などと独りごちながら約30分歩き、標高857mの山頂へと達しました。運動不足の私は、すでに息も絶え絶えです。
白馬像は、さえぎるもののない、広い山頂の中心にすっくと立っていて、白馬の前は記念撮影をする人々が絶えません。銘版には「建立 昭和44年9月 八王子観光協会 寄贈 京王帝都電鉄株式会社」とあります。像を建立した電鉄会社の思惑は当たったのでしょう、山頂周辺に茶屋が3軒もあり、登山客の数を物語っています。正午を過ぎ、遠景には霞がかかって、富士山の姿は見えませんでした。
「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る……」
蛍の光が閉店を連想させるように、この曲は遊び時間の終わりを連想させます。作詩者の中村雨紅は、父が宮司を務めていた宮尾神社の社務所で明治30(1897)年に生まれました。この神社は上恩方郵便局のすぐ近くです。境内には「夕焼け小焼け」の歌碑がありますが、これは昭和31(1956)年に雨紅の還暦を祝い恩方村の有志が設置したものだそうです。
大正12年(1923)に「夕焼け小焼け」が発表されました。ところがその楽譜は世の中にでまわる前に、関東大震災のため灰になってしまったのです。わずかに残った13部ほどの楽譜が、人から人へと歌い広められていきました。
雨紅は仕事から帰るとき、八王子駅からふるさと恩方までの約16kmの道のりをいつも歩いて帰りましたので、途中で日が暮れていくこともよくありました。「夕焼け小焼け」は、そんなふるさとへの帰り道、夕暮れ時の山里を歩きながら、幼い頃の山国の景色やなつかしさなどの感傷も加わり作られたそうです。
八王子こどもレファレンスシート『中村雨紅』
2006年10月、八王子市中央図書館
ところで、この上恩方郵便局の局舎は一見の価値があります。昭和13年の開局時から使われているそうですから築76年、東京都内の現役局舎ではおそらくもっとも古い部類でしょう。木造で、水色に塗られた下見板張りの壁は、当時の公共建築によく見られる雰囲気です。屋根の棟飾りにはちゃんと「〒」のマークが入っています。局舎内はカウンターが高く、執務スペースとの間がガラスで仕切られているデザインも、現在では希少なものです。
局舎を撮っていると、いかにもハイキング中、といった風情の二人組のご婦人がやってきました。「まあ、とっても古そうねえ」「いつからあるのかしら」と話しながら交互に記念写真を撮っています。戦前からあるんですよとさっき聞いたばかりのことを教えてあげると、「あらすごいわねえ」と感心している様子。ついでに、カメラのシャッターを切って差し上げました。
局員でもない私までなんだか誇らしげな気持ちなる、そんな局舎でした。
上恩方郵便局の地図
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